先生にlineを送ろうか、でもなんて送ればよくわからなくてうじうじしていたところに先生からオンラインでお話ししましょうとご連絡をいただきました、、、ありがとうございます
「愛される、好かれることを受け入れることの難しさ」について書こうと思います。
(いざ書こうとしたら難しいので頑張って書きます)
「人として」愛されるか、魅力的か、ということ、自分のメンタルに向き合うこと、とても実感がなくて、ずっとずっとどうすればいいのか?と考えてたのですがなんか違った気がしてずっとまとまっておらず、宙ぶらりんでした。
子供のころに家族から気にかけてもらってどうにかこうにか成人になった今、反抗期はずいぶんと手を、気苦労をかけてしまったことを最近思うんです。(22で何が分かるんねん親心)
それで、生きてるうちに、いろんな人とかかわって、人間関係も人並みに経験して、割と私は経験したことに忠実に感情がうっとおしいほどに動きましたが、なんか一つ見つけたことがありました
人を愛して好きで行為を伝えることも難しいけど、かかわってくれる人から好かれてることを受け入れるってもっと難しいなってことです(私には、ですみなさんそれぞれあると思います)
自分が好きで喜んでくれたらと思って、声をかけるとか、おデートさそうとか、プレゼント考えるとか、それは相手のこと考えてるのかもしれないですけど、その行為って主体は自分だなってようやく気付きました。(ずっとツイッターのお友達から自分勝手になりがちと指摘を受けていたのですが、何のことなのかわかってないのが現実でございます)
その行為が自分勝手(自己満足)だから良い悪い、という話ではなく、これが「自己満足」という状態だった、という事実を受け入れられませんでした。
たぶん、私の考えが及んでなかったのは相手がなんでこう言ってくれるとか一緒にいてくれるのか、だけじゃなくて相手が自分に何を思っているのか、まで考えてなかったと。自分を好いてくれるからと思うのではなくて、少なくても一緒にいるのが嫌じゃないからまぁちょっと妥協も含め、、、みたいな風に思ってるのかなってずっと思ってました。(全方向に失礼)
自分の欠点を見つけて(あるいは絶望して)改善しようとするのは簡単だけど、
自分の良いところをこれが私の魅力だと確信して、それを維持しようとすること、なくならないようにすることは、案外、自分を受け入れる行為の一つなのかもしれないと......
今のいいところはいずれ無くなって、相手を裏切って、相手から期待外れだったと思われるのが嫌と思ってほしくないと思ってたんだなと思います。
という心理で好かれていることを受け入れられてなくて、ひねくれがち(私は友達だと思ってるけど相手からはわかんないって言うとか)でした。誰かを私の友達だとか恋人だとか言うのってとても勇気がいることだなと改めて。(クラスメイトだったら同じクラスだったと目に見えるのがありますけど)
ではまた~~!!