watasihapanko’s blog

きまぐれとんかつ

気軽に

本当に体系立てるものもなく書いていく。今は新幹線の中で、にぎわっている。

 

このブログをツイートで通知しなくなってから、どんな人が読んでくださっているのだろうか。

 

 

ある人からいつも口語で文章書いてるでしょうと言われた。インプット足りてないからそうせざるを得ないのが本音。なんでもいいけどあなたのブログが読みたいです。日常のやつ。書いてほしい。

 

めっちゃ混んでるな新幹線。みんなおやつ食べてるし。コロナが明けて良かったな。

 

新卒という肩書、今年で使えなくなってしまうらしい。さみしいの。

なんだか無心に真剣に正確にできることが見つかってよかった。

 

 

あんなに中途半端になった卒論の続きをやりたかったのに、いつの間にかそんな熱もなくなってしまった。何かを書くというのは主体的でないとできないし、足りないところや時間の足りなさを一人で抱え込まないといけないきがして、それが結構苦しかったのかもしれない。でも、今自分は弛んでる気がするのでもう一度そういう環境に身を置きたい。

 

何かの節で、音楽をやめた、勉強をあまりしなくなった、目標を追いかけるのをやめた、そんなのが続いて、どうして続けられないのだろうと自分をののしって、という繰り返しをいつまですれば気が済むのだろう。何かに追われていないと自分は律されていない堕落してふしだらでどうにもできない人間なのではないかという恐れと事実だけが残っていく。

 

幸運なことに、仕事は前向きにとらえることができ(むしろ捉えるという作業すらしていない)ているからしばらくは熱中していいとも思う。あとは家族とライフステージを進めていくだけ。さみしいかな?どうなんだろう。

 

繰り返し流れてくる身分相応とか階級の話、男女間の分断、、、、

楽だから読んじゃう。もっと脳みそに重厚感あふれる圧をかけたい。物足りないのに薄っぺらい、、、常に灰汁だけ飲んでおなか一杯になってる感じがする。もう新しいアカウント作らないつもりなのに、どうやって整理すればいいかわかない。

 

 たまに着物着てる人やフルート吹いてる人とかいて好きだからフォローしたのに、なんで、なんで階級の話やどうしようもない外見の話が流れてくるのだろう。決して人は外見だけではないと言わないが、もうわけわからない。いちど話題になったからと言ってそっちのブランディングにとらわれているんでしょう。私もそうだけど。表現して人から見られてそれが評価されたら満たされてどんどんそう見られたい欲が加速していくんだ。だから本来なら明るくて良い意味で人受けのいいことを言えばよかったんだ。欲に忠実に言っていたばかりにこうなった。

 

バカね、根暗な自分なんて自分の中だけで大事にしておけばいいのに。

もう来年はしません。たぶん。

 

来年は文豪のラブレター集とか読みたいなぁ。もっとどん欲に社会性や還元される利益なんて考えずに、好きなものを選んでいきたい。好きで好きで考えすぎて病んでしまうそんな休日を増やしたい。

 

あとは旅行したい。私に足りないのは知らない土地に行くこと。温泉~~~

 

 

自分なりに社会を俯瞰してみたら自分が価値が無いことに気づいたんですけどってゼミの先生に言ったら、図々しさが足りないとおっしゃって、びっくりして、そうかと、案外軽く開き直った。留年したし、卒論1か月前に仕上がらないから見てくれと言ったのにそれでもなお足りないと言ってくださった。もっとどん欲でいいのかもしれない。そしたら楽しいのかも。

 

総括するつもりもなけど、もっと自分の欲しいことを声に出せるように人から好かれるように明るく生きていけばいいのよきっと。悩みなんて雰囲気に出ちゃうし、全部理解して同情されようと動くととたんに自分を悩みでしばりつけちゃって身動きできなくなる。そうなのだ。自分は弱いと唱えたらじわじわと意味のないもので衰弱していくもの。

 

言葉にしてないからって誰も私のことを軽薄な奴だと思わないと思う。

 

そういえば私の服がペラペラだから私のこと嫌いって言った人は元気かなww

あいにく悪口にレパートリーが少ない、ごめんww

 

 

文章を書くことについて、ネットや本やらと厳しくなっているねとよく父と話すのだけど、わたしは唯一この発する日本語にお金の価値がつかなくてもずっと続けるつもりだとちょっと思った。でもこれ、心の繊細さと肉体的なタフさの両立をしなくてはいけない。強くいようと思う。共感はできるけど共感の意は示さないとか、引きずられないとかいろいろ防御力を高くしていこうと思う。

 

 

わたし、かわいくなーーーれ

 

ばいばい